ジャムセッション

ゆったり、のんびり参りましょう♪

村上“ポンタ“秀一さん ~ライフワークを生きた方~

あるべきようわ。
こんばんは。
根本裕幸お弟子さん講座3期修了の
心理カウンセラーのよこたにです。

深夜のネットサーチ。
Twitterを見て。

…LIVEの予定は無し。
コロナ禍だし。
行くわけじゃないけれど…と
スマートフォンを閉じました。


明くる3月15日の昼過ぎに
インターネットに流れた訃報。
村上ポンタ秀一さんが亡くなられました。
享年70歳。
心よりお悔やみを申し上げます。


村上ポンタ秀一さんは
兵庫県西宮市 生まれ。
フォークバンド「赤い鳥」への
(「翼をください」が有名ですね)
ドラマーとしての
参加をきっかけにデビュー。
その後、1970年代からずっと
活躍を続けて来られました。

坂本龍一渡辺香津美矢沢永吉
井上陽水松岡直也泉谷しげる
沢田研二DREAMS COME TRUE
吉田美奈子。。。
多岐にわたるジャンルの音楽を
ドラマーとして支えてこられました。
お名前を挙げていない歌手やアーティストも
たくさんおられます。

スタジオではもちろん
全国各地の大きなステージから
小さなライブハウスでも
ドラムで歌ってきた男。


実は私は高3の頃から
ポンタさんに惹かれて
その音を聴いておりました。

学校の帰りにトイレで着替えて
ライブハウスに
行ったりしたことも。

ポンタさんの音に会いに行く事で
得ていたものをそっと挙げてみます。


◯ ライフワークを生きている人を見た

ポンタさんは
音楽と生きて来られました。
中1でブラスバンド部に入られてから
ずっと。
元々の素質がすばらしいのは
申し上げるまでもありませんが
色々な努力をされていたことも
お聞きしています。

それは努力じゃない、と
ご本人は言うかもしれませんが。

トップであってもなお
見えないところでも
自分の演奏のために力を注いでいる姿は
ぐっと来るものがありました。

ドラムを叩く事が 人生。

その時は気付いていませんでしたが
正に、ライフワークが ライスワーク
(=生活費を得るための仕事)
となっている姿を見せてもらっていたのだと
改めて今、しみじみと感じます。


◯ 音楽を聴く楽しさを知る

ポンタさんは
色々な曲のレコーディングに
参加していますが
割れたシンバルを使うのがすごいとか
ダブルバスドラム、とか
流れるようなタム、とか
ブラシプレイが繊細、とか
そういうテクニカルな面は
ごめんなさい、わかりません。

その色気のある
つややかでしなやかで
ふくよかな音色が
大好きになっただけ。

「あ、この音もポンタさんだ!」
「ポンタさんじゃないドラマーさんだ」
と、音楽を聴くときに
ドラムを中心に楽しむようになりました。


本人も言っておられましたが
ポンタさんは
ドラムでその曲を歌います。

人の声では無いだけで
ドラムで曲を歌っていくのです。
その結果、譜面に表れている以上の
ハーモニーが生み出されています。

とても感覚的な表現ですが
音楽を好きな方でしたら
これはわかっていただけると思います。

色々なアーティストやミュージシャンと
ポンタさんのドラムが歌うのを楽しむことを
きっかけにしてさまざまなジャンルの音楽に
出会えた事もまた、幸せでした。


◯ セッションが大好き

ポンタさんは
ステージで演奏することを
大切にしておられました。
演奏中に死ねたら本望だ、と。

元々、私のこのブログは
心理カウンセラーとして
ブログを開設してね~と
師匠の根本裕幸から伝えられて
生まれたものです。

師匠がスーパーカウンセラーとして
セッションを大切にしておられるように
ポンタさんはバンドマンとして
とても楽しそうに演奏しておられて。

一期一会の音が重なりあって
不思議な化学反応が生まれるひととき。

ポンタさんが
セッションする姿を見られる事が
本当に本当に幸せでした。

分野は違うけれど
「セッションを楽しむ」という姿勢を
いつも持ちたい。
私の中での誓いを込めて
このブログを
ジャムセッション」と名付けました。
ポンタさんを知らなければ
違う名前になっていたと思います。


訃報を知った日。
夕焼け空をふと見ていて。
「もう、ポンタさんの生の音は
聞けないんだ」と思うと
一気に色々な思い出が甦ってきました。

ドラマーではない私ですが
ポンタさんもまた、これからも私の師匠と
させていただきます。


あの世でまた
あの音を聴かせて下さいね。



心理カウンセラーのよこたにでしたよ。



お読み下さりありがとうございます。